ホームページへリンク
ギャラリー1
携帯トップ
マイペースで更新してます。
(千日回向開始 @10)
2022(令和4)年度
@ A B C D E F G H I
現在ページ・・A1
※前ページ・@1 後ページ・A2
10←開始時

1・  1/ 8〜12/30 2・12/29〜 12/20
3・12/19〜12/10 4・12/ 9 〜 11/30 
5・11/29〜11/20 6・11/19〜 11/10
7・11/ 9〜10/31 8・10/30〜 10/21
9・10/20〜10/11 10・10/10〜 10/ 1

 

≫1/8/23(日) 初めまして201です。
中国で伝わる“二河白道”を昔紙粘土でブラックボックス上に作ったことが目覚め前の夢に現れた。今まで気力でいろんな苦難を乗り越えてきたが、ここから先はこれまでの道よりもっときりたった細い道を歩くことになる。実存哲学のサルトルの嘔吐のことばだけの世界異常にリアルな世界に突入した。このブラックボックスの課題は西暦2001年の丁度9.11の事件前後に2年生に今一番関心のあることを立体的に箱の中に作ってみようということで取り上げた。これまでの素材の粘土に変わる素材としてデジタル素材で創造するものがメタバース上に作られ現実世界ではできなかったことがどんどんできるようになるのを今後このブログで後押しできたらと思う。丁度一ヶ月このブログで前大戦の契機を語ったが、もう一つの契機が朝鮮半島にある。もともとそれぞれの人民は好むと好まざるとに拘わらずどこかの集団知の中に生まれ育っていくものである。朝鮮も日本と同じように独立し発展し世界と対峙するのが自然であるにもかかわらず、日本と異なり大陸と陸続きのためより大きな勢力に飲み込まれまいと古来から日本以上に耐えてきた経緯がある。一時期中国の属国から脱却できた感があるが、ロシアからの圧力を封じるため日ロ戦争で講和後も半島での中国も加わる紛争が東学党の乱を起こし対立を深めることとなった。まさに中国で伝わる“二河白道”を世界を現実の世界に露わにした一例だろう。

 

≫1/7/23(土) 初めまして200です。
今日はあいにくの雨模様。やはり昼食後散歩を始めようとしたらめまいがし、ここで気合いを入れるとますます調子が悪くなるので、収まるのをひたすら待つのが日課だ。散歩中ずーっと続いた。今日で1000日回向の五分の一が終了した。一日一日の日記を綴るたびに昨日とは違った人がつづっているように編集しているのは、一日たてば昨日の自分ではない自分がしゃべり出す。いくら同じ私から発することばでも、自分も自分を取り巻く環境も変化し続けているし、残念ながらことばというものはそういうものだから仕方がない。正しいことは1(唯一無二)と9(多元的価値)が同時に成立してしまうのが現実であると理解しなければならないことが多くありすぎるからである。したがって今後日々異なるメッセージを起点に今後の未来の道しるべになればいいと思っている。

 

≫1/6/23(金) 初めまして199です。
明日でこのブログの100日台目が終了となる。そこで今日はこの101日目に猪木さんが亡くなられたことを思い返し、何か見直しができたかをここで自分に問いたい。日本が最も元気だった時代同じ民主国の宗主国のアメリカが自由競争の一人勝ちの日本を牽制する自国保護に舵を切る協定を押しつけてきたが日本の防衛をアメリカに大半依存をしていたこともあり、受け入れざるを得なくなり、革新的利益を生むと言われるものも海外に流出してしまった。一番大事なことは自分の身の回りの自然および環境から、新たな発想でものをつくりに喜びを作り出し社会に還元していく底力の育成にある。“義を見てせざるは勇なきなり”ということばを猪木さんらしいことばで言い直している。“この道を行けばどうなるものか。 危ぶむなかれ”

≫1/5/23(木) 初めまして198です。
専制と民主政治の差異はIT時代においてどちらが有利かといえば専制であろう。IT企画が法律に縛られることなく一瞬で上書きされていける。5といえば教科は英語を表し、ゴジラの5です。アルゴリズム言語も英語によって人間に理解可能な言語(ベーシック言語)に置き換えられたのだが、ここまではよかったのですが通貨管理をITに肩代わりさせる為のブロックチェーン技術は対立がある限り収束しない。二つのFACTを二律背反させる技術を確立させることで収束を迎える。

 

≫1/4/23(水) 初めまして197です。
今日も昔からそうであったように安上がりのテレビ三昧。しかし読書三昧は殆ど不能状態。カミングアウトしたとて世情が変わるわけではない。以前、組合主催で大阪での大戦を語り継ぐ集会の場で「“原爆被災”も元は同じ」という発言をしたところ、寝た子を起こすな的な雰囲気になり座がしらけさせたのを思い出した。今日三河の信長の最初の戦いは三河の浄土真宗連合との戦いを制したのが出発点という番組があった。昨日の番組から時代の変革者としての武士は“食わねど高楊枝”で命がけで守ろうと大義は内から発することばと目の前の現実から行動する趨勢を持つことで全国統一まで勝利し続けた、まさしく後者の後頭葉のネアンデルタールの身体的強靱さが生かされたからだと思う。小さなものでも大きく見させる技術があることで私も今でもなんとか生きながらえているしカミングアウトもできると思っている。あたかもいたわるかのような同情はいらない。一人でも発想の転換をしていたただける人が増えることを願う。つぶやく(ツイッター)から本音が出る。武器も核も大同小異。“自らの安全は自ら守れ”矛を止める最小限は事故の存立のため早急に保持する必要を感じる。

 

≫1/3/23(火) 初めまして196です。
今日一日テレビ三昧。“人類の歴史”。“幕末史”が特に印象に残る。前頭葉のホモサピエンスのことば(情報)操作に対し後頭葉のネアンデルタールの身体的強靱さに勝って発展し、最後はことば(ロジチック)と武器の対立で人類が滅びものとしてのロボットが生き残るというあの“猿の惑星”の映画と同じシナリオだ。“幕末史”も西欧諸国と米ロの日本の植民地化が貿易の自由化という美名の中で進められたが、国内の混乱に乗じて西欧諸国と米ロ同士の勢力争いがさらに日本国内の混乱に拍車をかけることになるので同じ島国である英国が結束し不介入にしたことによって新政府樹立を促進できた。ここでも最新武器の優劣により流れが変えられていく現実を見た。どちらの番組も最終兵器や未知のウィルス、ゲノム編集のない時代である。平和な社会を作るためこれまでどんだけ多くの血と汗と金を費やしたことだろう。戦争に勝者はない。という公理をロシア・ウクライナ紛争で確立しよう。

 

≫1/2/23(月) 初めまして195です。
NHKの大河ドラマ今年は“どうする家康”。昨年は“鎌倉殿13人”で混沌する武家社会の誕生の苦悩、西欧でのローマ帝国のゲルマン人傭兵による現在の西欧諸国の誕生時期に相当する。その後諸国の君主に近代国家樹立の基礎となるルネッサンスを迎える。日本では安土桃山であり日本文化の黄金時代である“わび、さび”という美に集約させ華道、能、茶道など多方面に応用した。最も大切なことは表に表さない、いわゆる“秘すれば花”である。その精神的土壌を当時の基本にしたのが“質実剛健”から“質素倹約”として庶民に定着させ明治以降も小学校に二宮金次郎の像を立てたりして受け継がせようとした。にもかかわらず、知より感情に流されたり、知のことばを重視するあまり饒舌の罠にはまり込むことにもなる。家康の幼少期に過ごした三河の臨済寺は言葉を超えた悟りを習得するにふさわしくそれが日本を長きにわたって平和をもたらせた原動力となったのではないか。

≫1/1/23(日) 初めまして194です。

明けましておめでとうございます。一年の計は元旦にあり。初夢は見ましたか。私は20代の頃の臨海学舎で帰りの宿舎からの忘れ物をひきとってと部屋いっぱい並べられているのを眺める自分がいる。楽しかった青春の思い出に感謝した。今の混迷した世界の中で死にたくないと思い、録画の“朝までテレビ”を視聴した。いままで連綿と放映し続けたにも拘わらず、結果がこれだ。私たちの築いた比較的平和な世界も今社会の指導的人々の世代交代の中でもろくも崩れようとしている。自他共栄をさらに進め、二律背反、共創社会実現を今年も目標としよう。

≫12/31/22(土) 初めまして193です。
世界のメデイアはこぞってこの大晦日に今年の反省の上に新年を迎えるための番組を組んでいる。日本では紅白、その裏番組ではKワン、そして“行く年来る年”、“朝までテレビ”をみながら年越しそば、初詣などを通して一人一人新たな気持ちになれるように工夫して新年を迎える習わしである。さすが朝まで初詣やテレビはこの年になるとできなくなっているのでそれに代わる方法を自分なりに工夫している。

≫12/30/22(金) 初めまして192です。
昨日の話と真逆なことも度々経験した。会議や授業中に私のことばに対し批判する意見だったらそれによって新たな展開となるが妨害したり、感情的暴言で話を遮られると、ことばの先験性が保てなくなり、自己の存立が危ぶまれるようになる。ところが幸いにして美術という教科は実技を主とするのでなんとか乗り越えれるのだが、私の退職の頃、選択履修という概念が植えつけられたことで美術が単なる趣味の一つ(アイテム)と捉え、到底、日常的表現(カスタム)とは捉えにくくなってしまったようだ。

          10

ライン
戻る